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前橋地方裁判所 昭和33年(ワ)222号 判決 1961年5月16日

原告 西村喜一郎 外一名

被告 高橋兄司

主文

被告は、原告喜一郎に対し三〇五、八〇九円と、うち二二〇、三九二円に対しては昭和三三年八月二一日から、うち八三、一七五円に対しては同年九月九日から、うち二、二四二円に対しては同月一二日からそれぞれ支払済までの年五分の金員とを支払え。

被告は原告昭に対し二二二、六三四円と、うち二二〇、三九二円に対しては同年八月二一日から、うち二、二四二円に対しては同年九月一二日からそれぞれ支払済までの年五分の金員とを支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分にかぎり、かりに執行することができる。

被告が、原告喜一郎に対し、三〇五、八〇九円の担保を供するときは、第一項の仮執行を、原告に対し二二二、六三四円の担保を供するときは第二項の仮執行をそれぞれ免れることができる。

事実

第一当事者双方の申立

一、請求の趣旨

「被告は、原告喜一郎に対し五六七、六四四円とこれに対する昭和三三年八月二一日から支払済までの年五分の金員とを、原告昭に対しては四三二、三五六円とこれに対する同日から支払済までの年五分の金員とをそれぞれ支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求める。

二、被告の申立

「原告らの請求はいずれもこれを棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求める。

第二当事者双方の主張事実

一、請求の原因

(1)  原告喜一郎は訴外亡西村文子の父であり、原告昭は亡文子の母である。

(2)  訴外株式会社ニユウランドは、さかえ荘と云う通称で伊勢崎市栄町五八番地で、入湯設備をそなえた貸席業を営んでおり、被告は、同訴外会社の代表取締役である。

(3)  昭和三三年八月二〇日当時、右さかえ荘二階大広間の東北隅には、長さ約二メートル六〇センチの飛行機用木製プロペラを簡単な台の上に備えつけ、これを二馬力のモーターで回転させて右大広間に来集した客に送風する装置が設置されていた。

(4)  ところが原告らの長女亡文子は、昭和三三年八月二〇日午後三時ごろ、回転中の前記プロペラに接触してまきこまれ、頭脳挫砕の傷害を負い、そのため同日午後四時二五分ごろ、伊勢崎市新町所在の設楽外科医院で死亡するに至つた。

(5)  亡文子の死亡は、被告のつぎのとおりの重大な過失によるものである。すなわち被告は、さかえ荘を経営している前記訴外会社の代表取締役として、本件送風装置を設置させたのであるが、本件事故の発生した昭和三三年八月二〇日ごろには、右送風装置には柵や金網等の危険防止のための設備は施されてなく、またそのころ被告は、前記大広間の改造工事を実施し、事故発生当日までには右工事は一応終了したが、あと片づけは未了で、送風装置のまわりには、工事のための材木や道具類が雑然とおかれたままになつていた。

ところで右のように不特定かつ多数の客の来集する広間に、前記のような送風装置を備えて客のための送風の用に供しようとする者には、これに人が接触するときはいかなる危険が発生するかも知れないことを慮つて、人が接触することができないように厳重な柵、囲等を設け、または金網のおおいをする等危険の発生を未然に防止するために万全の措置を講ずべき注意義務があるにもかかわらず、被告は、本件送風装置付近に材木、机、椅子などが雑然とおかれてあつたことから人が近づくことはなかろうと軽信し、右の注意義務を怠つて、危険防止のためのなんらの措置をも講ずることなく、前記訴外会社の使用人五十嵐とみをして、プロペラがむきだしになつているままの本件送風装置を運転させたために、亡文子の死亡を招来したものである。

(6)  被告の右不法行為により、原告らは、つぎのとおりの物質的、精神的損害を蒙つた。すなわち、

(イ) 亡文子の受傷から死亡するまでの医療費として、原告らが共同して訴外設楽外科医院に支払つた四、四八五円

(ロ) 原告喜一郎は、亡文子の分に応じた葬儀を営み、その費用として支出した合計一三五、二八八円

(ハ) 亡文子は、原告らの長女であつて、原告らはその将来の成長を非常に楽しみにしていたので、その死亡により絶大の精神的打撃を蒙り、非嘆にくれている。右精神的苦痛を慰藉するための金額としては、原告らの生活程度、家庭生活、被告の資産その他諸般の事情を考慮すると、原告ら各自に対し一六〇、一一六円が相当である。

(7)  亡文子は、被告の本件不法行為により五九六、七九五円の得べかりし利益を失い、被告に対し右と同額の損害賠償請求権を取得し、原告らは右損害賠償請求権を相続した。

右損害額の算定根拠はつぎのとおりである。すなわち亡文子は、死亡当時六年であつたが、六年の女子の平均寿命は六二、二五年であり、稼動している成年女子の一ケ月の平均賃金は、九、四八四円であるから、亡文子が二〇年に達してから稼動を始めるものとし、右収入を得るのに必要な生活費として、収入額の五割を控除し、これに稼動可能な残存余命月数である四三の一二倍を乗じて得た金額から民法所定の年五分の中間利息を控除して算出したものである。

以上の次第であるから、被告は、原告喜一郎に対しては前記(6) の(イ)の医療費二、二四二円五〇銭、(ロ)の葬儀費一三五、二八八円、(ハ)の慰藉料一六〇、一一六円、前記(7) の相続債権二九八、三九七円五〇銭、合計五九六、〇四四円の、また原告昭に対しては前記(6) の(イ)の医療費二、二四二円五〇銭、(ハ)の慰藉料一六〇、一一六円、前記(7) の相続債権二九八、三九七円五〇銭、合計四六〇、七五六円の損害を賠償する義務がある。そこで原告喜一郎は前記(6)の(イ)の医療費二、二四二円五〇銭、(ロ)の葬儀費一三五、二八八円、(ハ)の慰藉料の内一六〇、一一六円、前記(7) の相続債権のうち二六九、九九七円五〇銭、計五六七、六四四円の金員の支払を、原告昭は前記(6) の(イ)の医療費二、二四二円五〇銭、(ハ)の慰藉料一六〇、一一六円、前記(7) の相続債権のうち二六九、九九七円一五〇銭、計四三二、三五六円の金員の支払を、さらに各原告はこれらに対する右損害賠償請求権が成立した日の翌日である昭和三三年八月二一日から、右各金員の支払済までの民法所定の年五分の遅延損害金の支払とを被告に求める。

二、請求の原因に対する答弁

(1)  請求の原因(1) 、(2) 、(3) および(4) の各事実はいずれも認める。

(2)  請求の原因(5) の各事実中、被告が訴外株式会社ニユウランドの代表取締役であつて、原告主張のとおり、本件送風装置を設置させ、訴外五十嵐とみにこれを運転させたこと、本件事故発生当日、右装置には柵、おおい等の設備は施されていなかつたことおよび同日ごろまでにさかえ荘二階大広間の改造工事が一応終了したが、あと片づけが未了で、右装置の周辺には木材等が散乱していたことは認める。その余の事実は否認する。

被告は、右大広間改造工事を施行するに際し、本件送風装置の設置場所を移動させ、その際右装置に施されてあつた囲を撤去したが、客が接近することができないように、右装置前に古材木を一尺五寸程の高さに積みあげ、かつ右大広間内の貸席の部分と送風装置との間に腰掛、テーブル等を積みならべ、客が通行できないようにしておいた。また本件事故発生当日ごろは、右大広間改造工事終了直後で、右装置付近には、ごみ等が散乱していて、誰かがこの装置に近づくかも知れないなどと云うことは、予想もされない状態にあつたので、被告が事故の発生を防止するための措置を怠つたとは云えない。

(3)  請求の原因(6) および(7) の各事実中亡文子が原告らの長女で、死亡当時生後六年であつたこと、生後六年の女子の平均寿命が六二、二五年であること、および稼働している女子の平均賃金が一ケ月九、四八四円であることはいずれも認める。その余の事実は全部争う。

三、過失相殺の主張

かりに被告の過失が認められるとしても、本件事故が発生した当日、亡文子の母である原告昭は、これにつきそつてさかえ荘に至り、同女とともに二階大広間で休憩していたのであり、他方本件送風装置は、右広間の東北隅の人の出入を禁止してあることが一見して明瞭な場所に設置されていたのである。かような状況のもとでは幼児につきそつている親権者としては、幼児が危険のなんであるかを十分に理解せず、興味半分に右装置に近づくことがあるかも知れないことを慮り、常時幼児の行動に十分の注意を払い、これをプロペラに近づけないようにする注意義務があるのに、原告昭は右の注意義務を全く怠り、亡文子がプロペラに近づこうとすることを知り、従つてその接近を容易に阻止し得る状態にありながら、なんらの制止措置をも講ぜず、却つて文子の接近を認容して慢然と傍観していた過失により本件事故を発生させるに至つたもので、その責任の大部分は原告側にあると云うべきである。従つて右の原告側の過失をしん酌して損害賠償額を相当に減額すべきである。

四、過失相殺の主張に対する認否

本件事故発生当日、原告昭が亡文子につきそつてさかえ荘に行つたことは認める。その他の事実は全部否認する。原告昭は一階大広間に入つたことはない。

第三証拠関係

一、原告らの提出した書証および援用した各証拠

甲第一ないし第二七号証(甲第三号証は一ないし三に、甲第七号証は一および二にそれぞれわかれる。)

証人丸山幸一、同石川徳芳の各証言および原告喜一郎、同昭(第一、二回)の各本人尋問の結果

二、甲号各証の成立についての被告の認否

甲第三号証の一ないし三、甲第四号証の成立は知らない。その余の甲号各証の成立は全部認める。

三、被告の援用した各証拠

証人五十嵐とみ、同高橋サダ、同高橋麻次郎、同山口リセの各証言および被告本人の尋問の結果。

理由

一  原告喜一郎、同昭が亡西村文子の父母であること、訴外株式会社ニユウランドが、さかえ荘と云う通称で、伊勢崎市栄町で入湯設備を備えた貸席業を営んでいて、被告がその代表取締役であること、昭和三三年八月二〇日同荘二階大広間の東北隅に飛行機用木製プロペラを使用した原告ら主張のとおりの送風装置が設置されていたが、その日には右装置にはおおい等はなく、プロペラがむき出しになつていたこと、右装置は被告がその場所においたもので、被告は右訴外会社の使用人五十嵐とみにこの装置を運転させたことおよびその日午後三時ごろ亡文子が原告ら主張のとおり回転中のプロペラにまきこまれて死亡するに至つたことは当事者間に争いがない。

二  成立について争いのない甲第八号証ないし第二三号証、第二五号証および証人丸山幸一の証言によつて事件当日の現場写真であることが認められる甲第三号証の一、二ならびに同証人、同五十嵐とみの各証言および原告昭(第一、二回)および被告本人の各尋問の結果をあわせ考えると、つぎのとおりの事実を認めることができる。

すなわち被告は、入湯設備を備えた貸席業を営む訴外株式会社ニユウランドの取締役として、右業務に付随して毎年夏期になると、さかえ荘二階の七〇畳敷大広間(同広間の西方には間口五間奥行二間の舞台が付設されている。)の東北端に接して約三坪の小部屋を仕切り、この中に古鉄材をやぐら型に組んだ、底部において縦一メートル四一センチ、横一メートル二四センチ、高さ一メートル四七センチの簡単な台を置き、この台の上に長さ二メートル六〇センチほどの旧軍用飛行機用木製プロペラを据えつけ、その下方に二馬力モーターを置いてベルトで回転させる仕組みの送風装置を設置させて、広間に来集した客にむけて送風していたが、右装置には従前は一応の囲を設けて危険を防止して来た。

ところが被告は昭和三三年八月初旬ごろ、右広間の拡張工事を行い、訴外渡辺又造とともに自ら工事作業に従事して、右七〇畳の間の東方に続く合計約六〇畳の二部屋を右七〇畳の広間と一体をなす貸室に改造し、右改造工事に伴つて、本件送風装置も拡張された大広間の東北隅に移動させ、同時に従来施してあつた囲等はすべて撤去してしまつた。本件事故が発生した同月二〇日には右の拡張工事が一応完成して改造された部分の床張りも終つたので、被告も不測の事故の発生をおそれて、同訴外人に手伝わせて、本件送風装置前に約一尺五寸程の高さに工事用古材を積み重ね、七〇畳敷の部分と改造された約六〇畳の部分との境には長椅子三、四個をならべ、かつ前記訴外会社の使用人五十嵐とみに対しても、客の要求があつた場合には、相当の注意を払つて右装置を運転するよう一応の注意を与えてはおいたが、その他には右送風装置の回転を不能ならしめるために、モーターと階下の電源との間の連結を断つと云うような措置は講ぜず、長椅子と長椅子との間には相当の間隔があり、送風装置前には古材の積み重ねられていない部分も残されていて、これに人が近づこうとすれば比較的容易に近づくことができるような状態になつていた。

他方原告昭は、本件事故発生当日の少し前から、長女亡文子および次女訴外西村八重子を伴つて実家である伊勢崎市波志江町横堀管忠方に来ていたが、たまたまさかえ荘の湯がくすり湯であることを聞き、昭和三三年八月二〇日亡文子および八重子の二人の娘をつれ同荘に来て娘らとともに入浴し、隣の大広間内に本件送風装置のような危険物があるとも知らずに、二階大広間の西南に続いていた三〇畳の客室で休憩し、同客室内で次女八重子の世話をしていた瞬時の隙に、亡文子が本件送風装置に接近し接触して本件事故をおこしてしまつた。

証人五十嵐とみ、同高橋サダの各証言中には、本件送風装置前に積み重ねられてあつた古材等のため、右装置に接近することは著しく困難であつた旨供述する部分があり、また成立について争いのない甲第一一号証の記載中ならびに証人山口リセの証言および被告本人の各尋問の結果中には、原告昭が本件送風装置の存在を認識していたことを推認させるような部分があるけれども、これらの証拠はいずれも前段認定に用いた各証拠と比較すると容易に信用し難く、他に前記認定を覆えすに足りるような証拠はない。

およそ多数の客の来集することを目的とする浴場付貸席業の経営者は、来客の生命身体に対する危険の発生の防止については、細心の注意を払うべきことは当然であつて、本件送風装置の如き強力で危険な設備を使用しようとする場合には、来客、ことに事理の弁識にかける幼児等が、右装置に近づいたりすることのあるのは十分に予測されるのであるから、来客が右装置に使用されたプロペラに接触することを確実に妨げるに足りる措置を講ずべき業務上の注意義務があり、従つてプロペラには厳重な金網のおおいをつけるとか、又は柵を設けるとかの措置を講ずべきであり、またもし前記改造工事等の特別の事情のため、一時的にも右のような措置を施しておくことが不可能になつたような場合には、右装置と動力源との連結を断つてプロペラの回転を絶対に不能にする等危険の発生を未然に防止するに足る万全の措置を講じておくべきものであつて、前認定のとおりの程度に右装置前に古材木や椅子を積み、あるいはならべ、且つ使用人に対して一応の注意を与えただけでは、右装置付近に部屋改造工事終了直後のため古材、ごみ等が散乱し、従つて普通の成人は通常その付近に立入らないであろうという事情を考慮にいれても、到底前示の業務上の注意義務をつくしたものと云うことはできない。すなわち被告は、あらかじめとるべき事故防止のための措置を怠つたもので、本件事故の発生は被告の過失によるものであると云うべきであるから、被告は本件事故により、原告らが蒙つた損害を賠償する義務を免れることはできない。

三  亡文子が原告ら夫婦の間の長女であることは当事者間に争いがない。

四  そこで原告らが蒙つた損害の額について判断すると

(イ)  成立について争いのない甲第五号証に原告昭本人の尋問の結果(第一回)をあわせ考えると、原告らは共同して亡文子の受傷から死亡に至るまでの医療費として、昭和三三年九月一一日訴外設楽外科医院に対し、計四、四八五円を支払つたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。右金員の支出は本件事故によるものであることがあきらかである。従つて特別の事情の主張、立証のない本件では原告らは各自被告に対し右医療費の半額ずつすなわち二、二四二円(円未満は切りすてる。以下同様である。)の損害の賠償を求めることができるわけである。

(ロ)  証人石川徳芳の証言によつて真正に成立したことの認められる甲第四号証に同証人の証言をあわせ考えると、原告喜一郎は、昭和三三年九月八日までの間に亡文子の葬式費用として総計八三、一七五円を支出したことが認められる。同原告はなお亡文子受傷に当り、伊勢崎市と原告らの住所のある東京都との間の交通、連絡費、原告らの親族が葬儀のため上京したのに要した旅費、原告昭が本件事故捜査の参考人として伊勢崎警察署に出頭した際の自動車代等計八、八〇〇円および香奠返しとして支出した四三、三一三円をも請求しているが、これらは葬祭費とは認め難いからこれらの点に関する同原告の主張は採用することができない。従つて、本件事故により原告喜一郎は右葬式費用と同額の損害を蒙つたものと云わなければならない。

(ハ)  亡文子が原告ら夫婦の間に出生したその長女であることは前認定のとおりであり、成立について争いのない甲第二号証、第七号証の一、二に原告喜一郎、同昭および被告各本人の尋問の結果をあわせて考えると、亡文子は中流家庭に生れ両親の愛情を十分にうけて健かに成長しつつあり、学校においても別段の問題を起こすようなこともなくて、原告らはその将来を楽しみにしていたところ、思いがけない本件事故のため、一日にして同女を失い、原告らの子供としては次女八重子のみとなり、深い悲しみの底に沈んだこと、他方被告は前記訴外会社の代表取締役であつて、同会社から一ケ月二〇、〇〇〇円の報酬を受けとつているほか、伊勢崎市栄町に約一四〇坪の土地と同地上に二階坪を含めた総建坪一六〇坪を下らない建物とを所有し、右各不動産を前記訴外会社に賃貸し、その賃料として一ケ月金五、〇〇〇円を受けとつていることを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。右の事実と前認定のような本件事故発生のいきさつ等諸般の事情とをあわせ考えると、原告らが本件事故によつて受けた苦痛は相当に甚大であることが認められ、右精神的苦痛を慰藉するための金員としては、原告らの各自について、それぞれ一五〇、〇〇〇円が相当と認められる。

五  亡文子が死亡当時生後六年であつたこと、生後六年の女子の平均寿命は六二・二五年であることおよび稼働している成年女子の一ケ月の平均賃金が九、四八四円であることは当事者間に争いがなく、原告喜一郎、同昭(第一回)の各本人尋問の結果によると、原告らの家庭は職人三人ほどを使用して板金加工業を営んでいる中流家庭であることおよび亡文子が健康な女子であつた事実が認められ、他に特段の事情の主張立証のない本件では、健康な女子が成年に達した後は六〇年に達する程度まで種々の形態で労務に服するものであり、また中流家庭の女児の成年後の労働力の価値はほぼ成年女子の平均の労働価値と等しいものというべきであるから、亡文子の成年後取得すべき総収入は、九、四八四円にその稼働可能月数である四八〇(一二月に四〇年を乗じたもの)を乗じた四、五五二、三二〇円となる。もつとも原告らは、亡文子が六二年まで稼働するものとして、その総収入を計算すべきことを主張しているが、およそ女子が死亡するその年まで稼働することは、通常の事態と云い難いから、亡文子の稼働期間も、前示のとおり成人後六〇年に達するまでと見るのが相当である。ところで幼児が死亡したことによる幼児の逸失利益の算定にあたつては、その収益を得るに必要な生活費を総収入から控除すべきことは勿論であるばかりでなく、幼児が稼働可能年令に達するまでの養育費、教育費をも、稼働可能年令に達した後の生活費に準じて、総収入からこれを控除するのが相当であると解すべきである。しかも、特別の事情について主張、立証のない本件では平均賃金程度の収入をあげている者の生活費は、その収入の二分の一程度であること、本件亡文子のような中流家庭の子女にあつては、稼働年令に達するまでの養育費、教育費は、それ以後の生活費とほぼ同程度のものというべく、亡文子が本件事故のため蒙つた損害額は、亡文子の前示総収入額の二分の一の二、二七六、一六〇円からホフマン式計算法により民法所定の年五分の中間利息を控除して得た金額六二三、六〇五円から、さらに前示の養、教育費の総額七九六、六五六円から前同様の方法で中間利息を控除した金額四八二、八二一円をさしひいて算出した一四〇、七八四円となるものというべく、亡文子は被告に対しこれと同額と損害賠償請求権を取得したものといわなければならない。従つて、結局原告らは、亡文子の死亡により直系尊属として右請求権を相続し、被告に対し各自についてそれぞれ七〇、三九二円の支払を求めることができるものというべきである。

六  被告は、本件事故の発生については亡文子の母原告昭の重大な過失があつた旨主張し、成立について争いのない甲第一一号証の記載部分ならびに証人山口リセの証言および被告本人の尋問の結果中には、被告の右主張に沿うかの如き記載部分および各供述部分があるけれども、右各証拠はいずれも前記二の事実の認定に用いた各証拠と比較すると容易に信用しがたく、他に右被告主張事実を認定せしむるに足りる証拠はないので、本件事故発生について、原告側にも過失があつた旨の被告の主張は理由がない。

以上の次第であるから、原告喜一郎は前記四の(イ)の医療費二、二四二円、同(ロ)の葬式費用八三、一七五円、同(ハ)の慰藉料一五〇、〇〇〇円、前記五の相続債権七〇、三九二円、合計三〇五、八〇九円について、また原告昭は前記四の(イ)の医療費二、二四二円、同(ハ)の慰藉料一五〇、〇〇〇円、前記五の相続債権七〇、三九二円、合計二二二、六三四円についてそれぞれ被告にその支払を求めることができるものといわなければならない。なお、遅延損害金の点について、原告喜一郎が亡文子の葬祭費の全部を支出したのは昭和三三年九月八日であり、また原告らが亡文子の医療費を支出したのは同月一一日であることおよびその余の損害が亡文子の死亡した同年八月二〇日に発生したことは前記認定の事実に徴して明らかであり又右各損害の賠償を求める債権は各損害の発生した日に弁済期が到来したものと云うべきである。従つて、葬祭費に対応する金員については昭和三三年九月九日から、医療費に対する金員については同月一二日から、その余の金員については同年八月二一日からそれぞれ遅延損害金を請求することができるものと云わなければならない。

よつて、原告らの被告に対する各請求中、原告喜一郎の三〇五、八〇九円とうち二二〇、三九二円に対しては同年八月二一日から、うち八三、一七五円に対しては同年九月九日から、うち二、二四二円に対しては同月一二日からそれぞれ支払済までの民法所定の年五分の遅延損害金の支払とを求める部分、および原告昭の二二二、六三四円とうち二二〇、三九二円に対しては同年八月二一日から、うち二、二四二円に対しては同年九月一二日からそれぞれ支払済までの同法所定の年五分の遅延損害金との支払を求める部分は正当であるからこれを認容し、原告らのその余の各請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第九二条、九三条第一項を、仮執行の宣言およびその免脱については同法第一九六条第一項、第二項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 関根小郷 簑原茂広 石川哲男)

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